いつも行ってる恵比寿のデッサン教室に小磯良平の本があることに気づいた 素描展の図録とアサヒグラフの特集号。
やっぱりいいなぁ 神戸の美術館は近いうちに行きたい。
以下その日のクロッキー
ベテランさんっぽい雰囲気で、裸婦モデルの中の裸婦モデルという磨かれた身体だった。
座って描くのキツくありませんか?と声までかけてもらった。
言われれみれば確かに、イーゼルを立てない描き方は珍しいかもしれない。それはやっぱり自分が美術教育としてのデッサンを経てこなかったからで、初めて石膏を描いたのも大学に入ってからの事、受験デッサンも絵画もほとんど未経験だからだと思った。それで今でも美大には憧れを抱いている。
ほとんど我流に近いままアニメの職について、線だけで絵を描くことに腐心してきた。
最近ようやっとクロッキーでもアタリをとること、面で影をつけて立体を描き起こすことを意識するようになった。リチャード・ウィリアムズが晩年、商業的な側面から卒業して、あらためてデッサンスクールに通った中で年若い教師、ジョン・ワトキスに気付かされた話をふと思い出す。つまり線で描きすぎていたのだ。
それまではコピー機が写真をスキャンするがごとく上から下へ、順に被写体のカタチを線で追ってきた。
キム・ジュンギなどの描き方を見て、マネしたのも影響してしまっている。
20代のうちはクロッキーを続けようと思い、30になったとき、コロナの休止もあってそれまでいろいろ出入りしていた会に通うのをやめた。その頃は仕事も私生活もうまくいかず、心身ともに辛い時期だった。
今年の頭に久しぶりに誘われて表参道の会に行き、その楽しさを思い出した。
少しクロッキーを休止していたので、却ってその間の絵の上達(これは仕事を通じたものだろう)や考え方の進化を目にみえて感じられた。
20代で練習をやめる必要など実はどこにもなく、一生デッサン力は伸ばせるのだと、そう考えるようにした。自分で自分に伸び代を感じる物事こそ、才能だと思う。
目下の悩みは、仕事にするアニメ業のためにはじめたことなのに、アニメの絵を描くより目の前の人物を描くことの方が得意なこと、いや、好きなことに気づいてしまった事だ。
自分は本当に人間が好きなんだなと思う。