映像画日記

アニメーターの絵と映画と読書の記録

要町の金曜デッサン(クロッキー)会と池袋モンパルナス   美術の窓 No.449 2021年2月号

 

 

 

先日、小竹から池袋までの散策中に見つけた熊谷守一美術館。

最上階のアトリエ兼ギャラリーで静物デッサンの講座を時々やっているのを知って、如何にもな雰囲気だし、クロッキー会もやっていないのかと思って調べていたら、やはり毎週末開催されていた。

なぜそうピンと来たか自分でも不思議だが、あの建物が、どことなく20代前半に通ったセツ・モードセミナーを思い起こさせたからかもしれない。

HPからPDFで案内がひっそり出ていて、しかも設立当初から催しているそうだ。守一の娘である館長(この方も昨年他界)の本に詳しく書いてあり、

 

美術館は赤字だが、この会は最初からずっと人気があった、と綴られていた。

要町近隣の人々、そしてまたプロの画家や彫刻家も集い、にぎわっていたらしい。

 

駅から館に向かう道中、貸しギャラリーやアートスクールがいくつも目に留まり、昔は芸術に篤い町だったのかなと思っていたが、調べたら確かに実際そうだった。

 

 

 

大正の終わりから第二次世界大戦終戦ごろにかけて、この一帯はアトリエ村があり、芸術家が多く暮らしていた。

それを池袋モンパルナスと呼び、そう呼ばれたこの地域に住むひとりが熊谷守一であった。しかもセツ・モードセミナー長沢節も一時住んでいたらしい。謎が解けた感じがした。

 

その日のクロッキー会は台風が近づく影響か、年配の男性五人と自分だけの静かな会だった。

中休憩で髪も長いひげも真っ白なモリ風のご老人に声を掛けられ、一階のカフェでコーヒーを飲みながら話を聞いた。

その人は松戸から描きに来ていると話し、近所の人が集まっているとばかり思っていた自分は驚いた。ほかにも品川区から来ている人もいて、一番近所なのは自分かもしれないと思った。

2000円の参加費なので安いですね、と話したら、昔は参加者が多くて1500円で安かったしここは駅から遠いし、アトリエも広くはないから人は減ったのだろうとこぼしていた。

そうはいっても遠方から毎週末通う人たちがいるのは、この美術館の魅力がそうさせるのだろうと思う。

スタッフの人もおおっぴらにネットでも告知をしない方針のようだし、静かで描きやすいので自分もありがたい。

 

その日、会が終わるころには台風の気配はすっかり消えており、松戸のご老人は台風は消えちゃったねえ!と陽気に言い残し足取りかるく帰っていった。

 

 

以下その日のクロッキー

豊満な裸婦モデルだった