播州赤穂在の小百姓弥作の伜称吉は、村一番の孝行者。ある日、病気の母親に生胆を与えようと捕えた鯉をめぐって、郡奉行神崎与左衛門の息子与一をあやまって殺してしまった。捕えられた称吉は、手討ちにされると思われたが、称吉の器量に感心した与左衛門の計いで、死んだ与一の代りに神崎家の養子に迎えられた。
名も神崎与五郎と改め、赤穂城に向う称吉。時が経って--浅野内匠頭の刃傷によりお家断絶、浪人となった与五郎は故郷に帰って来た。そんな彼に名主惣左衛門は娘喜久との縁談を申込んだ。しかし、吉良討入の大事を目前にひかえる身。かなわぬ想いに喜久は、泣き崩れた。そんな或る日、同志早野勘平の迎えで急遽江戸に立つことになった与五郎は、かねて用意の袱紗包みを弥作に預け、そのまま村を発った。
弥作の鎌腹 - Wikipedia
本作は江戸時代にできたほかの忠臣蔵物と同様、『仮名手本忠臣蔵』における設定を前提としているが、主人公は野良仕事以外のことは知らぬ実直な百姓である。だがその弟が塩冶家の侍だったことから、仇討ちという思いもよらぬことに巻き込まれることになる。
狂言に『鎌腹』という曲目がある。恐ろしい乱暴な妻に山へ行って働けと脅された男が、その口惜しさに手にする鎌で腹を切ろうとする。だがいざ刃物を腹に突っ込もうとすると怖くなり、そこで木に鎌をくくりつけ、それめがけてぶつかれば腹が切れるだろうなどと試みる…というような内容で、鎌で腹を切ろうとするから「鎌腹」である。この『弥作の鎌腹』においても、『日本戯曲全集』の台本のト書きではそうなっていないが、弥作が鎌と柱を縄で結び付けそれで腹を切ろうとし、最後は転んだ拍子に鎌が腹に突っ込むという型がある。
弟と恩義ある人物との板ばさみとなり、その挙句の切腹なのだから本来なら悲愴な場面のはずであるが、武士ではない刀を持たぬ百姓が包丁や鎌で腹を切ろうとし、しかし気後れしてためらう様子などを狂言『鎌腹』と同じく見せて笑わせ、そして泣かせる。弥作を当り役とした三代目中村歌六はこの芝居について、「…弥作なら弥作で、実直な人物になって、その魂を忘れないやうにすれば好いと考へて演ってゐますので、御見物を泣きながら笑ふやうにしないといけないのです」と述べている。ちなみに三代目歌六の子である初代中村吉右衛門は『秀山十種』に選定し、家の芸にしている。