映像画日記

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マディソン郡の橋(米・1995/134分/35mm)ワーナー・ブラザース シネマフェスティバル PART 2 クリント・イーストウッド編

マディソン郡の橋(米・1995/134分/35mm) 監督 クリント・イーストウッド

 

 

原作にはないらしいラスト雨の車のシーン良いな。

 

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この後。

 

 

マディソン郡の橋』(マディソンぐんのはし、原題: The Bridges of Madison County)は、1992年にアメリカ合衆国で発売されたロバート・ジェームズ・ウォラーRobert James Waller)の同名ベストセラー小説を原作にした、1995年の恋愛映画[6]アンブリン・エンターテインメントとマルパソ・プロダクションズが製作し、ワーナー・ブラザースが配給した。クリント・イーストウッドがプロデューサーおよび監督、キャスリーン・ケネディが共同プロデューサー、リチャード・ラグラヴェネーズが脚本を務めた。イーストウッドメリル・ストリープが主演した。

批評的にも商業的にも成功し、世界中で1億8,200万ドルをあげた[4]。1996年、第68回アカデミー賞アカデミー主演女優賞にノミネートされた。

 

アイオワ州の片田舎で出会った、平凡な主婦と中年のカメラマンの4日間の恋を描く。世界的ベストセラー(およびロングセラー)となったロバート・ジェームズ・ウォラーによる同名小説(日本語訳・文藝春秋刊)を、クリント・イーストウッド製作監督主演を務めて映画化。この項目では主として映画について記載する。不倫をテーマにした大人のラブストーリーであり、米国のみならず世界的大ヒットを記録した。撮影は、小説に描かれた実在の場所、アイオワ州マディソン郡ウィンターセットに造られた特設セット『フランチェスカの家』(Francesca's House)にて、延べ42日間に渡って行われた。

 

 

経緯

 

"数年前、『荒野のストレンジャー』のロケ地を探してピックアップトラックネバダ州に行ったことがある。しかし人妻との運命的な出会いは全くなかった。"

—— ロバート・キンケイド役のクリント・イーストウッド[3]

1991年終盤、スティーヴン・スピルバーグが創立した製作会社アンブリン・エンターテインメントロバート・ジェームズ・ウォラーの発売前の小説『マディソン郡の橋』の映画化権を25,000ドルで購入した。映画公開前までにこの小説は世界中で950万部が売れた[3]。当初スピルバーグシドニー・ポラックを監督に選任し、カート・リュードックに脚本を担当させたが降板した。キャスリーン・ケネディスピルバーグが2番目の脚本家にロナルド・バスを連れてきたが、彼らは仕上がりに満足しなかった[3]。しかし3番目の脚本家であるリチャード・ラグラヴェネーズの脚本はスピルバーグと、初期段階から主演を演じることが決まっていたイーストウッドが気に入り、スピルバーグの『シンドラーのリスト』の次の作品として考慮された[3]スピルバーグイーストウッドもラグラヴェネーズのフランチェスカ視点での描かれ方を気に入り、フランチェスカの子供たちが成長して母の日記を発見して読むという枠物語を取り入れた[3]スピルバーグがこの作品の監督をしないことになり、ブルース・ベレスフォードを監督に任命するとベレスフォードはアルフレッド・アーリーに脚本の草案を書かせたが、ワーナー、スピルバーグイーストウッドの全員がラグラヴェネーズの脚本の方を支持したためベレスフォードは降板した[3]

ウォラーはフランチェスカ役にイザベラ・ロッセリーニを推薦した。アンジェリカ・ヒューストンジェシカ・ラングメアリー・マクドネルシェールスーザン・サランドンも候補に挙がっていたが、ロッセリーニが最適とされた。スピルバーグは同調しなかったがイーストウッドは最初からメリル・ストリープを推薦していた[3]

撮影

 
アイオワ州ウィンターセットにあるローズマン・ブリッジ。キンケイドはこの橋の撮影に訪れフランチェスカと出会う。フランチェスカの遺言により彼女の遺灰が撒かれた場所でもある。

撮影は52日間の予定で行われたが、実際には10日早い11月1日に終了した。これだけの世界的ヒットを収めた名作にもかかわらず製作に要した期間は、正味42日間だけであり、製作費も約US$900万(当時の日本円にして約11億円)に留まった[要出典]イーストウッドフランチェスカの視点を大事にし、時系列を追って撮影した。イーストウッドはこれについて「それが重要なことだった。我々は実際に俳優としても登場人物としても互いを知り合っていくのだから[3]」と語った。アイオワ州マディソン郡ウィンターセットの他、ダラス郡エイデル、そしてペンシルベニア州ウェストモアランド郡にあるベルズ・ミルズ橋でも撮影が行われた[2]

レイティング[編集]

当初フランチェスカの皮肉を込めた台詞によりR指定を受けたが、イーストウッドの嘆願によりPG-13となった[3]