映像画日記

アニメーターの絵と映画と読書の記録

マンガ批評論レポート   「夢の化石」今敏 講談社


夢の化石 今敏全短篇 (KCデラックス ヤングマガジン)

夢の化石 今敏全短篇 (KCデラックス ヤングマガジン)

「夢の化石」今敏 講談社



今敏の訃報はまさに青天の霹靂だった。悪化していた病の事実は、ほんの一部の関係者しか知らされず、新作映画の公開をファンが心待ちにしていた矢先だった。そう、今敏は「映画監督」だった。「漫画家」今敏としての評価が広まるのは氏の夭折後、絶版した単行本の再版と未完作品2作とこの短編集が出版されてからだ。漫画家としての今敏が世間に知られていないのは、氏が寡作であったこと(主にアシスタントと雑誌のカットで生活していたようだ)、さらに20代後半で、劇場アニメーション「老人Z」の美術設定を依頼されたのを契機に、活動の場をアニメーション業界に移していったためである。


氏は「AKIRA」の大友克洋のアシスタントをしており、そこからアニメーションの世界に足を踏み入れていった。大友が監督した実写映画「ワールドアパートメントホラー」のコミカライズも任されているなどその画力は驚異的で、だからこそ劇場映画の美術にも抜擢された。なおこの「ワールドアパートメントホラー」だけは絶版のままで、再版が待たれている。映画好きでレイアウトや脚本にも精通していた氏は、次第にアニメーションの仕事が増えていき、結果的に映画監督としての知名度が圧倒的になった。元来漫画家という職業に執着はなく、絵が描ければ何でも挑戦したいというスタンスであったようだ。


アニメーションスタジオに机を移してからはそのレイアウト能力と演出力で、沖浦啓之井上俊之などのトップアニメーターに大きな影響を与えている。雑誌や著書、HPなどでも、後進の育成や業界への意見などの厳しくも鋭い意見が耳目を集めた。出身の武蔵野美術大学で教鞭を執ったり、日本アニメーター支援機構「JaniCA」の発足に関与するなど、その「親分肌」な性格は業界への大きな貢献になったようだ。



「夢の化石」はこのようにやはりアニメーション監督としてのイメージの強い氏の原点といえる短編集である。収録されたデビュー作である「虜―とりこー」から既に、晩年まで氏のメインテーマだった「現実と虚構」のモチーフを垣間見ることが出来る。またいずれの作品も高度な人物のデッサンと背景の描きこみであるが、よく見るとタッチは作品ごとに微妙に異なり、絵に対する技術向上の姿勢と探究心を感じられる。作品のジャンルも「カーヴ」のような大友作品を連想するSFを扱ったもの以外にも、「野球小僧」のような少年の友情と成長を軽やかなタッチで描いた青春作品、または「わいら」のような時代物など様々だ。アイディアを仕入れること、育てることの意義を語っていた氏の制作姿勢を作品を通じて理解することが出来る。


亡くなったのを機に「漫画家」としての今敏の魅力が広く知られることになったのは皮肉であり、氏の新作漫画のページを繰ることはまさに夢見る機会となってしまった。