前著「ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判」同様、人並み以上の興行成績を収めたハリウッド映画を遠慮会釈なく斬り捨てた一冊です。
前著のレビューでも書きましたが、本書もまた取り上げている映画のほとんどは「斬りやすい」作品であり、この本はそうした映画そのものを痛罵すると見せかけて、実はそんな駄作をありがたがって大枚払って観に行く日本のおめでたい映画ファンを揶揄した書といえます。
前著ではあまり感じなかったのですが、今回は同じ映画をめぐって町山・柳下両氏の批評に時折温度差が見られます。
例えば「
ミスティック・リバー」をめぐる二人の見解の相違を興味深く読みました。町山はこの映画を「
スリーパーズ」のパクリと見て、「ス
トーリーはボロボロ」とけんもほろろです。
しかし、柳下はこの映画を次のように褒めるのです。
「この不条理で解決のつかないところが異常で凄いと思う。世界の底には邪悪なものが隠れてて、いったんそれに触れると誰もが不幸になる。たとえ善人でも不幸の運命からは逃れられない。そんな
イーストウッドの絶望的な
厭世観を感じる。」(198頁)
私は町山同様「
ミスティック・リバー」を批判的に見ましたが、この柳下の見方にも一理あるなと納得させられたほどです。
一方「
ロスト・イン・トランスレーション」を巡っては、この映画をくさす柳下に対して町山はこんな風に好意的です。
「若い頃は恋愛とセックスは一つだけど、この年になると『愛』『恋』『セックス』の三つに分離するね。『ロスト・イン~』はその心理をよく描いているよ。」(213頁)
いまひとつ評判が芳しくないこの映画を密かに応援してきた私は、同世代の町山の評価にわが意を得たという思いを強くしました。
すべての映画に悪口雑言を浴びせるばかりに見える中で、こんな風に拾うべきところはきちんと拾っている。そこが心に響く書でした。